2010年4月26日月曜日

聞くだけの人、踊るだけの人

ここのところ、日本タンゴ・アカデミーのホームページを作ろうというプロジェクト?に参画させていただいて、どのようなWebサイトが日本タンゴ・アカデミーにとって良いのであろうかと考えているところです。

私自身はどちらかというと「アルゼンチンタンゴを盛り上げたい」という漠然とした気持ちがあって、ここしばらくはその意思を幾許かのボランティア活動で表現しているのですが、一方で「日本タンゴ・アカデミーを盛り上げたい」ということになると必ずしも私のやりたい事とも限りません。

まずは「日本タンゴ・アカデミーとは何ぞや?」ということを追求せねばなりません。

飯塚氏(現日本タンゴ・アカデミー副会長)によると、「日本タンゴ・アカデミー」というのは次のような2つの側面があるということでした。一つには、日本には全国的な規模でタンゴ愛好家が募る愛好会が無い、という点があるという点。決して我等が総本山と称する気持ちは無いという点を強調しておられましたが、日本で行われている愛好家活動をいい意味で束ねる貴重なグループであることは疑いようもありません。もう一つとしては、タンゴの祖国、アルゼンチンでのタンゴ・アカデミー本家より、日本でもタンゴ・アカデミーを結成したらどうか?という助言があり、活動を続けているということです。現状、日本でのアカデミー活動は、アルゼンチンでのそれとはやはり人数も規模も違い他の団体との接点も少ないでしょうという点で、さらなる発展を求められています。ただ言えることは、「日本タンゴ・アカデミーを盛り上げよう」とする志は、一人の愛好家として「アルゼンチンタンゴを盛り上げよう」とする志としても大きな意義があるだろうと思い、お手伝いしていこうと決めました。

日本タンゴ・アカデミーのWebサイトについて、先日の飯塚副会長と執筆家の山本幸洋さんを交えた話し合いでは、短期的には日本アカデミーの活動自体を知ってもらう場、そして世界的にも有数のコレクションをライブラリとして提供する場とし、長期的にはもっと戦略的に演奏家・ダンサーなどを巻き込んで多面的に活動をアクティベイトしていく方向性ということで意見が一致しました。将来的には、様々なパーツに分かれて独立して発展していっている「タンゴ」というものを、決して一つの定義に限定せずに多様なタンゴを互いに補完しあえる立場というのが望ましいのではないかと思います。

その他いくつもの議題があり、とても一晩では語りつくせるものではありませんが、一つ、個人的に大切だと思われたことがあったのでメモ代わりにここに記します。

それは「日本タンゴ・アカデミーには聞くだけの人が多い」という事実についてです。アルゼンチンのタンゴ・アカデミーなんかはほぼ100%聞くだけの人だから日本もそれで良いのではないか、という意見もあるようですが、先ほど申しましたとおり、日本のアカデミー活動はもっと多面的でありたい。

聞くだけの人、その反対語は何かと言いますと、まぁ聞かない人だろうなどというへそ曲りな人はほっといて、踊る人とか演奏する人とかっていう感じです。聞くだけの人という種族には、音楽を聞いて、さらには文化的側面だけでなく経済的にも地理的にも政治的にも深く追求していく人がいます。

一方で踊るだけの人、赫赫という曲が何年にどういう時代背景の中で○○というレーベルでダレダレが出した、なんて情報は一切気にせずに、踊ります。踊る人には、踊る人なりの興味があります。聞くだけの人に比べると、踊るだけの人のタンゴへの思いのほとんどは観念的なものです。たぶん演奏するだけの人も、自分には深く分かりませんが、それはまた演奏者独特の視点があるはずです。三位一体、というのは、つまり三者の心を知るということだと思います。

日本タンゴ・アカデミーが、聞くだけの人以外にも、特に今増えている踊る人や演奏する人、やがては今までタンゴさえも聞いたことがないような一般の人をも巻き込んでいくために、そのような発想・視点を意識しておくべきだと思われます。

特に、聞くだけの人、踊るだけの人、大きな違いは能動性にあろうと思います。

今まさにタンゴを踊れる人、タンゴを演奏できる人、自分でやらないと気がすみません。

要するにレコードコンサートで聞くだけでは満足できません。たとえば討論やワークショップのように少しなりとも参加できることが大切だと思います。

聞くだけだったとしても、あわよくば自分の肥やしになるまで還元できればと思っています。どこまで会として親切にすれば良いか知りませんが、出来るだけ共通認識の出来る接点が増えると良いと思います。

また、いくら共通認識を追及しようとしても、元々文化的側面や歌詞などを知らずとも踊りや演奏は可能ですし、それを知っているかと言って各個人がよりハッピーなタンゴを追求できるとも限りません。大切なのは、固執せず、強制せず、否定せずに、立ち位置を明確にしていく事だと思います。